2009年6月18日木曜日

朗読会『向田邦子を読む』

木曜日、図書館で開催された朗読会にでかけた。これで2回目だ。

元NHKチーフアナH氏が講師だというので、名調子を楽しみに参加したのだが、予想に反して「聴く会」ではなく「読む会」だった。

テキストは『父の詫び状』から抜粋された文章で、おおよそ、15行ずつ順番に読んでいく。「音読ではなくて朗読をしてください」と講師は言う。

「私はうまれたんも育ったんも讃岐やから」とか「18歳まで大阪やったから」とか、皆それぞれに訛りへのことわりをしながら、おずおず読む姿が初々しい。

私のところでは「ボール」と「ビスケット」のアクセントを訂正された。両方とも頭にアクセントをつけて読んだのだが、共通語では後ろにアクセントで、より平坦な音で読む感じといえばいいだろうか。ビスケットもこれに動物がくっついて「動物ビスケット」となると、ビスのところにアクセントがつく。あ~、ややこしい。

来週で講座はおしまい。最後は自分たちが読むのではなく講師の名調子を聴きたいものだ。久世光彦プロデュースのドラマのような、あんなナレーションがいい。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あゆです。うちの父ちゃんに聞いたら、知ってると言ってたよ。ときどき今もニュースよんでるよね~。必ず、最初にあいさつのある人だと言ってました。

寒 さんのコメント...

「読書会」昔から憧れてます。
それにもまして、「朗読会」は憧れ。

「読む」という行為は
まだまだ歴史の浅い行為だそうな。

人間の歴史からすると、文字を読むようになったのは、最近のこと。

読むとき、脳はどういう風に活性化してるか?
心の中で「音」してる?
でも、それは実際の音を聴いたときとは違う脳の動きなんだろうなあ?

視覚情報として受けとり、
それを意味として理解し、
音声に置き換え、
発生器官で声に出し、
その声をまた自分の耳から聞く。

結構、大したことじゃないと思ってしてる「朗読」という行為は
まだまだ解明されていず、不思議がいっぱいありそうです。


最近のお気に入りの「朗読者」
映画化されましたね。
私の思い描いていた女性は、
もっといかついおばちゃんだった。^_^;

ももゆき さんのコメント...

★あゆさん
あ、やっぱり知ってたんだ(^^)
あたりまえといえばあたりまえだけれど、きれいな日本語を絶妙な間合いで話す人で、音楽のように聴こえました。話すときに必ず相手の目をみる方なので、妙に緊張しました。土曜日だったか高松で「朗読会」の大きな舞台があったみたい。

★寒さん
読書会も、朗読会も経験済みです(^^;
朗読会も魅力的なんだけれど、これ以上好奇心の赴くままに行動をおこすと、他のことがおろそかになるので、ぐっとガマンです。

あ~~、さすが寒さん知ってたね(^^)
今週から公開されている『愛をよむひと』を観にいく予定です。最近のケイト・ウィンスレットはいいよね。で、手元には原作の『朗読者』がすでにあります。まだてつかずですが、映画をみるまでに読んでしまおうと思っています。
それにしても寒さんとは好奇心の方向が一緒だねぇ~(^^)

megu さんのコメント...

「父の詫び状」は音読するのは難しいというか、朗読し難いでしょうね。
でも、この作品は好きだなぁ^^;
キリスト教会では、よく聖書を輪読します。
最近では年配者が多くなり『聴いているから代わりに読んで』と仰る方も居て、まあ、時としてはそれも有りかなぁとは思います。
この頃、1人で音読してます。
でも、1人は淋しいよね(≧∇≦*)エヘ