2012年4月26日木曜日

2012年4月25日水曜日

白、黄色?

春の朝の、犬の散歩はカメラ必携。
今朝はこんなに珍しいタンポポを見つけた。

花のまんなかは黄色で、外側の花びらは白、というおかしな配色(?)
すぐそばにシロバナタンポポと普通の黄色いタンポポ(在来種)の両方が
咲いていたので、もしかしたら昨年、ご近所どおしで受粉したのかもしれない。
これって植物学会に報告すべきか?☆\(^^;)

今、散歩でよく見かけるもの…
青い麦(コレットの小説みたい…)、ホトケノザ、マツバウンラン
オオイヌノフグリ、アイリス(あやめ?)
フリージア、モッコウバラ、ポピー、レンゲソウ、シロツメグサ

ああ、いそがしい。

2012年4月24日火曜日

AKBみたい

美術館ボランティアの下調べをほったらかして美容院へ。初夏のようなお天気だったせいか、いつもの担当のKさんに「さっぱり」と切られた。

彼女曰く
「左の耳の上は少し刈り上げ、右はおとなしめにしました」いつも人の頭で遊んでくれること…。

帰りにダイソーでメモ帳を調達。おもしろいのでしばらくウロウロ。オモチャのコーナーでお人形の服を見つけた。チュールのパーティードレスや夏のリゾート着など4種類もあった。
その中で買ってみたのがこのセーラー服。縫製はひどいものだけれど、「他の人形にはあいません」とパッケージに書いてあるわりには、しらゆきさんにもOKだった。

なんだか、AKBのメンバーみたいじゃないですか。ひとつが105円なので、今度は全種類大人買いしちゃおう。ただし…、美術館ボランティアがすんでから(と心に決める)


2012年4月22日日曜日

2012年4月21日土曜日

2012年4月19日木曜日

マメっ

今日の収穫。相変わらず、キヌサヤとスナップえんどうが混在する豆たち。そのままサラダか卵とじかな。

2012年4月18日水曜日

カナちゃんの法事



「法事のお供えのおすそわけ」をとりに来て、と叔母から連絡があったので
殿が仕事帰りにとりに寄った。「近所の人がカナのために1周忌をしてくれて
お供えを持って来てくれた」との叔母の言葉。

殿が提げて帰った袋の中にはカステラ、ロールパン、シーチキン、ジャーキー。
生前カナちゃんが好きだったものばかりを近所の人が持ってきてくれたそうだ。

うちのショウとはずいぶん好みが違う。
カステラやパンをやると、すぐに庭に埋めにいくもの。
ジャーキーとシーチキンは喜ぶかな
(シーチキンはちょっとカラダには悪いけれど)

ショウが使っている木造セカンドハウスはカナちゃんの遺産わけでもらったもの。
庭の東南の一番いい場所にある。そんなわけで、ファーストハウス(予算の都合で
安物しか買えなかった)は庭の隅に転がされている。

カナちゃんは亡くなったときもお線香をたててお通夜をしてもらったし
一年後はこうして近所の人までやってきて法事までしてもらった。
なんてしあわせなワンコだろう。
目を閉じると、四角な胴体の、ずんぐりむっくりな姿がよみがえる。

2012年4月14日土曜日

2012年4月13日金曜日

エンドウ豆

ずいぶんとブログを書いてなくて我ながらびっくり。春の気ぜわしさのせいか心が落ち着かないのだろう。プチ菜園のスナップえんどうと絹さやにたくさん花がつき、まもなく最初の収穫ができそうだ (^-^)ただ、困ったことに狭いところに2種類のエンドウ豆を植え付けたせいで、みずみずしいサヤを見つけてもいったいどっちなのか判別できない。食卓に乗る時は絹さやとエンドウ豆とが混ざったおかしな惣菜になりそう。

2012年4月4日水曜日

むちにむちされる

孫の相手で駄洒落満載のカルタ取りをする。四歳児がカルタを朗々と読んでくれるのはいいが、「はちのはちをはちる」(橋の端を走る)「むちにむちされる」(虫に無視される)…た行をさ行に変換させてカルタを探すバアバの苦労をお察しください。

2012年4月2日月曜日

春休み

孫たちが1日から遊びに来ていておさんどんで多忙。
今は、娘と孫二人でZ市の友達のところへ遊びに出かけたので、その合間に久しぶりにアップ。

昨夜から読み始めた本は桜庭一樹で「傷痕」。なんとキズアトというタイトルはヒロインの名前なんだそうだ。そこまで読んで本を取り落として寝てしまった。

話がとぶけれど、時々書いているツイッター。
私の読者はさほどにはいないだろうと思っていたら、31日の美術館ボランティアの勉強会での会話から、仲間が読んでいてくれたことを知った。「これからはもっとちゃんと書かなくては」と気合が入った。フェイスブックと連動させればいいのだろうが、こちらは本名登録なので、勇気が出ない。いや、別に悪いことをしている日常ではないから、本名でもいいのだろうが…。

アメリカで生まれたフェイスブックは実名でもどんどん輪を広げていったそうなので、匿名性が受け入れられやすい日本と違い、言葉に対する責任の持ち方が異なるのかなあ。